風が吹く。 港の方から・・・
「今・ここに」あるように思い出す。
強い風が吹きつけていた、ひどく寒い日。
1000年に1度という出来事。
(・・・もっとも、それはずっと後になって知ったことだったが。あたかも、かの“エピメーテウス”になぞらえるかのように。)
巨大な出来事の傍らに~決して「ただ中」ではなく、けれど、紛れもなく
私自身もあった、その日のことを。
風が吹く。 港の方から。 焼けあとを包むようにおどす風・・・
風は今も吹きつけてくる。
「ただ中にあった」方々の、その日の心の内から。
震災の記憶の風化? 心配には及ばない。
「1000年に1度」の記憶を消し去るためには、
きっと、同じ1000年分の時が必要なはずだ。
(おそらくそれは、傍らにあった~傍らにある者でしかなかった~私、もしくは私たちにとっても同じこと・・・)
風が吹く・・・
風化の意味を、大づかみに
時が作用することでもたらされる変容。と、とらえるならば、
今日のこの日には、少しの間、
その変容を、むしろ、どこか静かでやさしい風~による作用
・・・のように考えてみたいのだ。
結局のところ、私は(私たちは)
“プロメーテウス”になることはできないのだった。
私たちになにがしかの知恵があるとしても、
それは~まずほとんどの場合~後知恵には相違ない。
けれども、いや、それ故にこそ、始められる何かはあるのだろう。
後知恵ではあったとしても、
確かにそれを知恵として作用させること。
静かな声・静かな歌。 ここにある、そのありよう。
今このとき、そしてこのとき以降。
その「ありよう」にもどこか似たやり方でこそ、
ようやくにして始めることのできる何かが、
きっと、あるのだろう (か?) 。
・・・そんなことを、考えています。
「今・ここに」あるように思い出す。
強い風が吹きつけていた、ひどく寒い日。
1000年に1度という出来事。
(・・・もっとも、それはずっと後になって知ったことだったが。あたかも、かの“エピメーテウス”になぞらえるかのように。)
巨大な出来事の傍らに~決して「ただ中」ではなく、けれど、紛れもなく
私自身もあった、その日のことを。
風が吹く。 港の方から。 焼けあとを包むようにおどす風・・・
風は今も吹きつけてくる。
「ただ中にあった」方々の、その日の心の内から。
震災の記憶の風化? 心配には及ばない。
「1000年に1度」の記憶を消し去るためには、
きっと、同じ1000年分の時が必要なはずだ。
(おそらくそれは、傍らにあった~傍らにある者でしかなかった~私、もしくは私たちにとっても同じこと・・・)
風が吹く・・・
風化の意味を、大づかみに
時が作用することでもたらされる変容。と、とらえるならば、
今日のこの日には、少しの間、
その変容を、むしろ、どこか静かでやさしい風~による作用
・・・のように考えてみたいのだ。
結局のところ、私は(私たちは)
“プロメーテウス”になることはできないのだった。
私たちになにがしかの知恵があるとしても、
それは~まずほとんどの場合~後知恵には相違ない。
けれども、いや、それ故にこそ、始められる何かはあるのだろう。
後知恵ではあったとしても、
確かにそれを知恵として作用させること。
静かな声・静かな歌。 ここにある、そのありよう。
今このとき、そしてこのとき以降。
その「ありよう」にもどこか似たやり方でこそ、
ようやくにして始めることのできる何かが、
きっと、あるのだろう (か?) 。
・・・そんなことを、考えています。
# by ichiro-ffm | 2014-03-11 14:46 | 音のふるさと~Japan